東京連合暴走族の真実|歴代総長と関東連合との決定的な違い

東京連合暴走族の真実|歴代総長と関東連合との決定的な違いの注目ポイントを丁寧に掘り下げてご紹介します。

なぜ、一時代を築いた東京連合は表舞台から姿を消したのか。その背景には、他勢力との血で血を洗う大抗争の激化と、国家権力による法改正を伴う壊滅作戦が存在しました。

昭和50年代初頭、東京連合は富士スピードウェイ周辺や原宿、お台場・大黒埠頭の前身となる湾岸エリアなどで、敵対するCRS連合や全狂連と幾度となく大規模な激突を繰り広げました。数百台の単車が入り乱れ、角材や鉄パイプが飛び交う抗争は、当時のテレビ特番や一般紙の社会面でも大きく報じられ、社会的な大パニックを引き起こしました。

こうした事態を重く見た警察当局は、1978年(昭和53年)に決定的な手を打ちます。それが道路交通法の改正(共同危険行為等の禁止新設)です。それまで暴走族の取り締まりは個々の速度超過や信号無視といった道路交通法違反にとどまっていましたが、この法改正により「集団で連なって走行し、著しい危険や迷惑を及ぼす行為」そのものを一網打尽に逮捕・勾留できるようになりました。

警視庁は特別機動隊を投入し、拠点となっていた環七や17号線を物理的に完全封鎖する「網焼き作戦」を激化させます。歴代の総長や幹部クラスが次々と逮捕・鑑別所送致となり、さらに昭和50年代後半に入ると、暴走族の少年たちが成人して暴力団組織へと吸収されるか、あるいは一般社会へ戻るかの分岐点を迎えます。求心力を維持できなくなった東京連合は、昭和の終わりとともに事実上の自然解散・看板の消滅という終焉を迎えました。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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