昭和映画史の幻「大日映画」の真相!大映との関係と倒産の深層
話題沸騰中の 昭和映画史の幻「大日映画」の真相!大映との関係と倒産の深層について、詳しいまとめを分かりやすく掲載しています。
意欲作を配給しながらも、大日映画の配給網はなぜわずか1年強で破綻へと追い込まれたのか。関係者の証言録や当時の経済紙報道を検証すると、「構造的な3つの致命因」が浮かび上がってきます。
第1の要因は、「大映と日活の制作・劇場カラーの致命的な不一致」です。時代劇や文芸ドラマの伝統を誇る大映の劇場網と、石原裕次郎や小林旭ら無国籍アクションで育った日活の劇場網では、抱える観客層が全く異なっていました。大映系の映画館に日活のアクション映画がかかっても客足は伸びず、日活系の映画館で大映の文芸調作品を上映しても空席が目立つという、配給のミスマッチが全国各地で多発したのです。
第2の要因は、「大映本体の財務破綻と資金ショート」です。大映は調布撮影所や京都撮影所の維持費、過去の設備投資による借入金が重くのしかかり、負債総額は約100億円(現在の貨幣価値で数百億円規模)に達していました。大日映画の興行収入だけでは膨大な利払いを賄うことができず、現場への製作費支払いが滞る事態に陥りました。
第3の要因は、「日活の路線転換と単独離脱」です。合弁の限界を悟った日活は、1971年8月にダイニチ映配から電撃的に離脱。低予算・高収益を見込める「日活ロマンポルノ」路線への全面転換を決断します。頼みの日活を失った大映は単独での配給継続が不可能となり、1971年12月、東京地方裁判所から破産宣告を受け、30年近く続いた名門映画会社としての歴史に一旦幕を下ろしました。