岡山の水没ペンション村はなぜ沈んだ?バブルの廃墟と現在の真相
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ネット上で長年議論されてきた「なぜリゾート村が丸ごと沈んでしまったのか」という疑問に対し、地元郷土史資料および土木工学的な経緯を検証すると、極めて明快かつ構造的な真相が浮かび上がります。
この土地はもともと、江戸時代から昭和中期にかけて「東洋一の塩田」と謳われた錦海塩田(きんかいえんでん)跡地でした。1971年(昭和46年)に塩業近代化臨時措置法によって塩田が廃止された後、広大な干拓地(約500ヘクタール)が残されました。塩田を造成するために周囲を高い堤防で囲った結果、この一帯の地盤は満潮時の瀬戸内海の海水面よりも低い海抜ゼロメートル地帯(マイナス1〜2メートル前後)となっていたのです。
本来、海抜ゼロメートル以下の干拓地は、降雨や周囲の丘陵地から浸透してくる地下水によって自然と水が溜まる宿命にあります。塩田時代やその後の開発初期は、大型の排水機場に設置された排水ポンプを24時間体制で稼働させ、雨水を堤防の外側にある瀬戸内海へ強制排水することで陸地を維持していました。
しかし、バブル経済崩壊の煽りを受けて開発主体や管理会社が経営破綻に追い込まれます。管理組合が空中分解した結果、月額数百万円規模に上る排水ポンプの電気代や維持管理費用を負担する者が誰もいなくなりました。排水ポンプの完全停止に伴い、数年をかけて降水と自然湧出水が盆地状の低地に蓄積し、建物群が基礎から水没していったというのが冷徹な事実です。