岩手・慰霊の森の真相|「森の祈り」改名理由と全日空機事故の現在
岩手・慰霊の森の真相|「森の祈り」改名理由と全日空機事故の現在に関する最新の話題を詳しく解説いたします。
昭和の高度経済成長期、航空網が急速に拡大する最中に起きた悲劇が、全日空機雫石衝突事故です。1971年(昭和46年)7月30日午後2時4分頃、札幌・千歳空港から東京・羽田空港へ向かっていた全日空58便(ボーイング727-200型機)と、航空自衛隊松島基地所属のF-86F戦闘機が、岩手県岩手郡雫石町の上空約2万8000フィート(約8500メートル)で空中衝突しました。
自衛隊機の搭乗員はパラシュートで緊急脱出に成功したものの、操縦不能に陥った旅客機は空中分解しながら雫石町の山林へと墜落。乗客155名と乗員7名の計162名全員の尊い命が一瞬にして奪われるという、当時の世界航空史上でも類を見ない大惨事となりました。犠牲者の多くは、静岡県富士市の吉原遺族会(戦没者遺族ら)で北海道旅行を楽しんだ帰りの市民一行であり、地域社会に計り知れない爪痕を残しました。
事故直後の山林は、機体の残骸と生活の痕跡が生々しく散乱し、捜索に当たった地元消防団や警察、住民たちの証言には「言葉を失う過酷な光景だった」と記録されています。突如として最愛の肉親を失った遺族たちの深い悲痛を包み込むように、悲劇の現場となった山頂付近は後に整地され、鎮魂の場として歩み始めることになりました。