三笠宮崇仁親王の真実|学者肌の宮様と百合子妃が紡いだ激動の百年
三笠宮崇仁親王の真実|学者肌の宮様と百合子妃が紡いだ激動の百年の最新情報をお届けします。役立つ情報が満載です。
親王の思想的原点を語る上で避けて通れないのが、三笠宮崇仁親王の軍歴と戦争体験です。陸軍士官学校(第48期)、陸軍大学校(第55期)を卒業した親王は、1943年1月に「若杉参謀」の偽名を用いて、南京にある支那派遣軍総司令部へと赴任しました。
そこで親王が目撃したのは、大本営が国民に喧伝していた「東亜新秩序の建設」という美名とはかけ離れた、過酷な現地の惨状でした。自著『古代オリエント史と私』や当時の手記において、親王は日本軍の現地での規律違反や残虐行為について、強い怒りと恥辱の感情を吐露しています。
「聖戦という看板の裏で、どれほど無軌道な行為が行われていたか。現地の民衆が日本軍に対して抱いた憎悪を目の当たりにし、暗然たる思いを抱かざるを得なかった」という述懐は、皇族でありながら軍中枢にいた人物による類を見ない歴史の告発です。親王は総司令部内で将校たちを集め、日本軍の侵略性や中国共産党軍の民衆掌握力を客観的に分析した講話を敢行しました。その論考は戦後発掘された秘密文書『支那事変に対する日本人としての省察』に克明に記されており、当時の軍部にとっては耳の痛い直言そのものでした。