中曽根康弘の功罪と真相|民営化とロン・ヤス外交が遺した光と影
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中曽根外交の代名詞となったのが、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンとの間に築かれた個人的信頼関係、通称「ロン・ヤス関係」です。1983年1月、首相就任直後に電撃訪米を果たした中曽根は、レーガンとファーストネームで呼び合う盟友関係を構築しました。
同年11月、来日したレーガンを中曽根は自身の私邸である東京都西多摩郡日の出町の「日の出山荘」へ招待しました。格式張った迎賓館ではなく、日本の伝統的な茅葺屋根の山荘で羽織姿の中曽根自ら茶を点て、囲炉裏端で酒を酌み交わすトップ会談は、世界中のメディアに大きく報じられました。首脳同士の極めて親密な人間関係を可視化させるこの演出は、当時の過熱する日米貿易摩擦を鎮静化させ、西側陣営における日本の安全保障上の重要性を印象付ける決定打となりました。
中曽根は訪米時のワシントン・ポスト紙のインタビューで、日本列島をソ連の爆撃機侵入を防ぐ「不沈空母(unsinkable aircraft carrier)」のように強固な防衛拠点にする趣旨の発言を行ったと報じられ、国内外で大論争を巻き起こしました(本人は後に「列島不沈化」の概念を語ったと釈明)。さらに防衛費1%枠の撤廃や対米武器技術供与の解禁など、軍事・安全保障面で日米同盟を「運命共同体」として格上げする政策を次々に推進しました。
「大統領型首相」を自負した中曽根は、官僚が敷いたレールに頼らず、ブレーン集団(民間知識人や学者)を重用してトップダウンで外交方針を決定しました。冷戦末期の国際政治において、経済大国でありながら軍事的には存在感が薄かった日本を、G7主要国首脳会議(サミット)の中央で堂々と意見を述べる対等のプレイヤーへと押し上げた功績は、外交史において極めて高く評価されています。