ビートたけしの師匠・深見千三郎の壮絶人生とは?衝撃の最期と素顔に迫る

ビートたけしの師匠・深見千三郎の壮絶人生とは?衝撃の最期と素顔に迫るについて見逃せない 理由を分かりやすく解説いたします。

1980年代初頭、漫才ブームが日本列島を席巻し、ツービートとして頂点に立ったビートたけしは、時代の寵児となりました。一方、浅草フランス座の斜陽とともに表舞台から遠ざかっていた深見千三郎は、台東区浅草にある木造アパート「松竹アパート」の一室で静かな隠居生活を送っていました。

悲劇が起きたのは、1983年(昭和58年)2月2日の未明です。深見の自室から出火し、部屋が全焼。深見は逃げ遅れ、一酸化炭素中毒により59歳で焼死しました。出火原因はタバコの不始末と断定されています。

この悲しい最期の直前には、涙なしには語れない師弟のドラマがありました。火災の前夜、スーパースターとなっていたビートたけしが、久しぶりに深見の元を訪ねていました。かつて毎日のように飯を食わせてもらい、小遣いをもらっていたたけしは、師匠への恩返しとして分厚い札束が入った祝儀袋を「師匠、これで旨いもんでも食ってください」と差し出しました。

深見は照れ隠しに「バカヤロー、弟子から金なんかもらえるか!」と毒づきながらも、内心は弟子の成長と気遣いが飛び上がるほど嬉しかったといいます。たけしが去った後、深見はその金をポケットに入れ、浅草の馴染みの居酒屋「捕鯨舩(ほげいせん)」などに行き、居合わせた客たちに酒を振る舞いました。「おい、見てみろ! これは俺の弟子のたけしが置いていった金だ!」と、誇らしげに自慢して回ったと当時の店主や常連客が証言しています。

したたかに酒を飲み、上機嫌でアパートに帰宅して布団に入った深見。寝酒とタバコの煙に包まれながら、最愛の弟子の成功を噛み締めていた矢先の失火でした。知らせを聞いたたけしは現場へ駆けつけ、変わり果てた師匠の前で人目をはばからず号泣したと伝えられています。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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