藤子・F・不二雄の死因と壮絶な最期|没後30年、机上に遺した想い
藤子・F・不二雄の死因と壮絶な最期|没後30年、机上に遺した想いの基本情報から最新動向までを徹底的にカバーしました。
1996年9月29日、東京都港区の大本山増上寺にて営まれた藤子・F・不二雄氏の葬儀・告別式には、漫画界・出版界の重鎮をはじめ、一般の親子連れやファンら数千人が押し寄せ、雨模様のなか長蛇の列を作りました。
祭壇には、ベレー帽をかぶり優しい眼差しを向ける藤本氏の遺影とともに、巨大なドラえもんのぬいぐるみが飾られ、出棺時にはアニメ主題歌『ドラえもんのうた』が静かに流れるという、異例でありながら故人の人柄を象徴する温かな演出が施されました。
式場全体の涙を誘ったのが、かつて「藤子不二雄」の共同ペンネームで苦楽を共にし、小学校時代からの無二の親友であった藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)氏による弔辞でした。震える声で語られた言葉は、昭和の漫画史を駆け抜けた2人の魂の交感を雄弁に物語るものでした。
「君は本当に優しくて、真面目で、子どもの心を生涯持ち続けた純粋な男でした。僕たちは富山県高岡の少年時代に出会い、手塚治虫先生に憧れて一緒に上京し、トキワ荘でひとつの部屋、ひとつの机で漫画を描き始めた。
君がいなければ、漫画家としての僕は絶対に存在しなかった。君はドラえもんそのものだった。弘氏、本当にありがとう。そして、お疲れ様でした」
――(当時の葬儀報道・藤子不二雄Ⓐ氏の弔辞要旨より)
1987年末にコンビを友好的に解消して以降も、2人の深い友情と互いへの敬意は一度たりとも揺らいでいませんでした。弔辞を読み終えた安孫子氏が棺に向かって深く頭を垂れ、人目をはばからず涙を拭った光景は、参列者の胸に深く焼き付いています。