最大のモアイ像の謎に迫る!規格外の巨像エル・ヒガンテと島の真実
最大のモアイ像の謎に迫る!規格外の巨像エル・ヒガンテと島の真実の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。
モアイの巨大化競争は、やがて島内社会の破滅的な崩壊へと直結していきました。限られた孤島の生態系の中で、各部族は自らの権威とマナの強大さを誇示するため、より巨大なモアイの建造と運搬に狂奔したのです。
巨像を運ぶための木材やロープ原料(ヤシの木など)の乱伐、農業用地拡大に伴う森林破壊により、島は深刻な資源枯渇と土壌流失に見舞われました。食糧危機と土地をめぐる争奪戦が激化すると、島民の信仰と社会構造は完全に崩壊します。
17世紀後半から18世紀にかけて勃発したのが、凄惨な部族間抗争「モアイ倒し戦争(現地名:フリ・モアイ / Huri Moai)」です。
敵対する部族を屈服させるため、相手の祭壇を襲撃し、守護神であるモアイを引き倒して目を破壊する行為が島全土で行われました。1722年にオランダ海軍のヤコブ・ロッヘフェーンが島に到達した際には多くのモアイが直立していましたが、1774年のジェームズ・クックの来航時には大半が倒され、1868年頃には島内の直立モアイは完全にゼロになりました。
現在見られるアフ・トンガリキやアフ・アキビなどの直立モアイは、20世紀後半以降に考古学者や世界各国の支援チーム(日本の重機メーカー・タダノによるクレーン提供と復元プロジェクトなど)によって再建・修復されたものです。