ルイ16世処刑の真相|断頭台の最期と言葉、なぜ防げなかったのか
話題沸騰中の ルイ16世処刑の真相|断頭台の最期と言葉、なぜ防げなかったのかについて、詳しいまとめを分かりやすく掲載しています。
Q1:ルイ16世が処刑された「革命広場」は現在のどこですか?
A1:現在のパリ中心部にあるコンコルド広場です。処刑当時「革命広場」と呼ばれていたこの場所は、凄惨な流血の歴史を乗り越え、国民の和解と調和を願ってフランス語で「調和・和合」を意味する「コンコルド(Concorde)」へと改名されました。現在広場の中央には、エジプトから贈られたルクソール神殿のオベリスクが設置されています。
Q2:ギロチン(断頭台)の刃を「斜め」に改良したのはルイ16世本人というのは本当ですか?
A2:史実として確認されています。ギロチンは内科医ギヨタンの提案を受け、外科医アントワーヌ・ルイが設計しましたが、当初の刃は半月形(円形)でした。機械工学に造詣が深かったルイ16世は図面を見て、「首の太さや形状に関わらず均一な切断力を得るには、刃を斜め(三角形)にするべきだ」とアドバイスを行いました。その改良された刃によって、後に彼自身が命を落とすことになったのは歴史の皮肉な巡り合わせです。
Q3:ルイ16世の処刑を強行したロベスピエールやジャコバン派の最後はどうなりましたか?
A3:処刑の翌年、1794年7月の「テルミドールのクーデター」によって失脚し、ロベスピエール自身もまた、かつてルイ16世が処刑された同じ革命広場のギロチンによって処刑されました。恐怖政治による粛清があまりに苛烈を極めたため、自らの命の危険を感じた国民公会の議員たちが結束して彼を排除したのです。