英仏海峡トンネルはどう車で渡る?驚きの運行実態と利用料金の真相

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ドーバー海峡の下にトンネルを掘る構想は、決して20世紀に突如生まれたものではありません。最古の記録は1802年、フランスの鉱山技師アルベール・マチュー=ファビエがナポレオン・ボナパルトに提案した「石油ランプで照らし、馬車を走らせる海底トンネル計画」にまで遡ります。しかし、イギリス側には「大陸からの侵略ルートになる」という強烈な国防上の懸念があり、構想は2世紀近くにわたって浮かんでは消えを繰り返しました。

風向きが決定的に変わったのは1980年代です。サッチャー英首相とミッテラン仏大統領による強力な政治的リーダーシップのもと、1986年にカンタベリー条約が締結。税金を一切投入せず、全額を民間資本で賄うという極めて挑戦的なスキームでプロジェクトが始動しました。

工事現場では、英仏双方から海底下に向けて11台の巨大TBMが同時に掘り進められました。そして1990年12月1日、世界中が固唾をのんで見守るテレビ中継のなか、歴史的瞬間が訪れます。イギリス側のグラハム・ファグ氏とフランス側のフィリップ・コゼット氏が、海底深くで削岩機を使って岩壁を突き崩し、互いに手を握り合ったのです。

当時の特番インタビューでファグ氏は「相手の削岩機の音が少しずつ近づいてきた数日間の緊張感は一生忘れられない。穴が開いてフィリップの顔が見えた瞬間、歴史が動いたと震えた」と証言しています。1994年5月6日、エリザベス女王とミッテラン大統領による公式開通式が執り行われ、数千年にわたり海で隔てられていた英仏両国が文字通り地続きとなりました。

しかし、商業的な道程は平坦ではありませんでした。当初見込みの約2倍となる1兆円以上(約46億ポンドから最終的に90億ポンド超)に膨れ上がった建設費が運営会社「ユーロトンネル(現在のGetlink社)」に重くのしかかり、開通から長年にわたり債務再編と倒産の危機に苛まれ続けたことも、このメガプロジェクトが遺した重い教訓です。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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