平安時代の平均寿命30歳説の真相|貴族と庶民の格差や死因を徹底検証

平安時代の平均寿命30歳説の真相|貴族と庶民の格差や死因を徹底検証の要点や背景を丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。

平安時代の人々にとって、最大の脅威であり平安時代の主な死因として猛威を振るったのが感染症の爆発的流行です。特に恐れられたのが平安時代の疫病と天然痘(当時の呼称で「裳瘡(もがさ)」「痘瘡(とうそう)」)でした。

平安貴族の日記には、疫病が都を襲ったときの生々しい恐怖と阿鼻叫喚の現場が記録されています。平安中期の権力者・藤原実資(ふじわらのさねすけ)が残した一次史料『小右記』には、長和4年(1015年)や寛仁年間における天然痘の流行により、公卿から下級官人、宮中の侍女に至るまでバタバタと倒れ、朝廷の除目(人事異動)や重要儀式がすべて停止に追い込まれた惨状が克明に綴られています。

飛沫感染や接触感染のメカニズムが全く知られていなかった当時、人々が頼ったのが平安時代の医療と加持祈祷でした。朝廷には「典薬寮(てんやくりょう)」と呼ばれる医療機関が存在し、漢方医学や鍼灸を扱う医師(典薬博士や針博士)が配備されていましたが、彼らが処方できたのは生薬による対症療法に過ぎませんでした。

病の真の原因は「目に見えないウイルス」ではなく、「怨霊や物の怪(もののけ)の祟り」であると本気で信じられていた時代です。菅原道真の怨霊や、政争に敗れて憤死した怨敵の魂を鎮めるため、比叡山延暦寺や三井寺から高僧が宮中に召集され、昼夜を問わず密教の護摩が焚かれました。加持祈祷によって憑坐(よりまし)と呼ばれる少女に霊を乗り移らせて退散させようと試みるものの、高僧たちの祈祷の叫び声が響く中で、患者はなす術もなく高熱と呼吸不全で息絶えていったのです。

また、女性にとって生命の最大の試練となったのが出産でした。平安時代女性の出産死亡率は、現代とは比較にならないほど破滅的な水準にありました。消毒の概念が存在しない空間で、畳やむしろの上に敷いた布の上で行われる出産は、産褥熱(溶連菌などの細菌感染症)や弛緩出血、骨盤位難産を引き起こせば即座に死を意味しました。『紫式部日記』には、一条天皇の中宮・藤原彰子(道長の娘)が出産する際、部屋中に何十人もの僧侶がひしめき合って絶叫に近い読経を続け、物の怪の憑依に怯えながら死線をさまよった異様な現場の空気が克明に記されています。最高権力者の娘ですら命がけの博打であった出産は、一般の女性にとってはまさに生きて戻れぬ鬼門だったのです。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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