園まり「逢いたくて逢いたくて」魅惑の歌声と名曲誕生の真相
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楽曲の大ヒットを受け、昭和のエンターテインメント界が誇る映画大手・日活が即座に動きました。1966年6月に公開された歌謡劇映画『逢いたくて逢いたくて』(江崎実生監督)です。映画界の若きエースであった渡哲也さんが相手役を務め、園まりさんは本人を思わせる歌手役を熱演しました。
日活の青春路線とムード歌謡が美しく融合したこの作品は、映画館に若い男女から中高年層までを大挙して呼び込み、楽曲のプロモーションとしても相乗効果を上げました。スクリーンいっぱいに映し出される園まりさんの憂いを帯びた表情と、哀愁漂う歌唱シーンは、映画ファンにも鮮烈な印象を残しました。
しかし、その華やかな成功の裏側で、園まりさん自身は深刻な葛藤を抱えていました。もともと彼女は、1962年に結成された「スパーク3人娘」(中尾ミエさん、伊東ゆかりさん、園まりさん)の一角として、フジテレビ系『スパークショー』などで溌剌とした洋楽カバーを歌うアイドル的な人気を博していました。快活で率直な中尾ミエさん、卓越した歌唱力を誇る伊東ゆかりさんに対し、園まりさんは常に「自分には突出した個性がない」という劣等感に苛まれていたのです。
渡辺プロダクションの創業者・渡辺晋社長らによる戦略だったとはいえ、「ため息路線」「お色気歌謡」とレッテルを貼られたことに対し、本人は当初強い戸惑いを感じていました。後年の手記やロングインタビューにおいて、園まりさんは「あのような囁くような歌い方は、本当は恥ずかしくてたまらなかった。でも、それが私の居場所を作ってくれた」と述懐しています。清純派アイドルの殻を破り、大人の女性としてのペルソナを受け入れた覚悟こそが、不滅の大ヒットを手繰り寄せた真の要因でした。