チェッカーズで死亡したメンバーは誰?死因と確執の真相&現在
チェッカーズで死亡したメンバーは誰?死因と確執の真相&現在とはどんな影響があるのか? 背景や要点を丁寧に紐解いて紹介します。
徳永善也氏の逝去は、ファンや音楽関係者に深い悲しみをもたらしただけでなく、長年にわたりくすぶっていた元メンバー間の深刻な人間関係の亀裂を白日の下に晒す引き金となってしまいました。それが2004年9月に発生した「徳永善也を偲ぶ会(送る会)騒動」です。
当時、送る会の発起人として名を連ねたのは、リーダーの武内享氏、藤井フミヤ氏、大土井裕二氏、藤井尚之氏の4人でした。一方で、サイドボーカルを務めていた高杢禎彦氏と鶴久政治氏の2人が発起人から外されていたことが公になり、ワイドショーなどを巻き込む大騒動へと発展しました。
この事態の背景には、2003年に高杢氏が出版した自著『チェッカーズ』を巡る激しい対立がありました。同書の中で高杢氏は、バンド解散の引き金となった藤井フミヤ氏の単独行動や事務所独立を巡る主導権争い、メンバー間の格差などを赤裸々に告発。これに対し、フミヤ氏をはじめとする他メンバーとの間に修復不可能な溝が生じていたのです。
合同記者会見において、フミヤ氏は発起人から2人を外した理由について「善也本人が最期まで一緒に音を出し、支え合ってきた仲間たちで見送ってほしいという思いを汲み取った結果である」という趣旨の説明を行いました。一方の高杢氏は「幼馴染である善也を送り出す権利を奪われた」と強く反発し、両者の主張は平行線を辿りました。
もともと1992年のチェッカーズ解散の真相自体が、「売野雅勇・芹澤廣明コンビによる提供曲路線」から「メンバー自作曲路線」への転換期における印税格差や、事務所からの独立方針を巡る意見対立、絶対的センターであったフミヤ氏への権力集中など、複雑なビジネス的・感情的要因が絡み合ったものでした。徳永氏の死という極限の状況において、封印されていた確執が決定的な形で爆発してしまったと言えます。