箸墓古墳は誰の墓?卑弥呼か百襲姫か最新科学と発掘で迫る真相

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箸墓古墳がなぜこれほど重要視されるのか。それは、この古墳が「日本で最初に築かれた定型化された大型前方後円墳(箸墓型)」であり、出現期古墳の編年基準となっているためです。全長は約280m、後円部径約157m、後円部高約22m、前方部幅約125m、前方部高約13mという圧倒的な規模を誇り、後円部は5段築成、前方部は4段築成という複雑かつ精緻な設計がなされています。

被葬者候補推定活動時期 / 没年考古学的根拠・規模の合致学術的課題・現在の評価女王 卑弥呼
(邪馬台国畿内説)西暦247〜248年頃 没炭素14年代測定による築造年代(240〜260年頃)と完全合致。後円部径が魏志倭人伝の「径百余歩」に適合。最有力候補。ただし殉葬遺構や魏の鏡などの副葬品が未発掘のため、物証の最終確定には至っていない。倭迹迹日百襲姫命
(宮内庁治定)記紀神話の崇神朝
(文献上は3〜4世紀頃)『日本書紀』に「大市墓」「昼は人が作り夜は神が作った」と記載。三輪山信仰と立地が深く結びつく。神話的色彩が濃く実在年代の特定が困難。記紀編纂時の政治的意図による系譜付けとの見解が主流。女王 台与(壱与)
(卑弥呼の後継者)西暦260年代後半以降築造年代の年代幅下限(3世紀後半)に収まる。箸墓古墳の完成度から後継者による国家事業とみる説。箸墓を卑弥呼墓とし、近隣の西殿塚古墳などを台与墓とする比定案もあり、第2候補として議論される。初期ヤマト王権の大王
(男王・首長連盟代表)3世紀中葉〜後半列島各地の土器が集積する纒向遺跡の支配者。地域連合の盟主としての巨大記念物。魏志倭人伝の「共立された女王」の実態が豪族連合であった場合、政治的実権者の墓とする解釈。

国立歴史民俗博物館の研究グループが実施した放射性炭素年代測定(AMS法)では、箸墓古墳の周濠から出土した土器に付着した炭化物を分析した結果、西暦240〜260年頃という結果が示されました。このデータは、長年議論されてきた「庄内式土器」から「布留式土器」への移行期を3世紀半ばへと引き上げる画期的な成果となり、卑弥呼の没年と箸墓古墳の築造年代がほぼピンポイントで重なることを浮き彫りにしました。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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