ダウンタウン伝説の全真相|2丁目劇場の狂気とテレビ生放送事件の深層

ダウンタウン伝説の全真相|2丁目劇場の狂気とテレビ生放送事件の深層の概要と注目ポイントを徹底的にカバーしました。

1982年、吉本興業が新たな才能を発掘・育成するために創設した養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」。その記念すべき第1期生として門を叩いたのが、当時10代の松本人志と浜田雅功でした。トミーズやハイヒールといった同期が正統派のしゃべくり漫才で頭角を現すなか、ダウンタウン(結成当初は「まさし・ひとし」「松本・浜田」「ライト兄弟」などの名義)が見せた漫才は、当時の演芸界の常識を根底から揺さぶる異形のものでした。

大声を張り上げず、ボソボソとした関西弁の日常会話のトーンで不条理な世界観を構築していく松本のボケと、観客や相方に一切の媚びを売らず、強烈な鋭角のツッコミを叩き込む浜田のスタイル。劇場の支配人やベテラン芸人からは「あんなものは漫才ではない」「客に聞こえない声で喋るな」と猛烈な批判を浴びました。しかし、これこそが後に日本中を席巻する新しい笑いの文法であり、吉本興業NSC1期生伝説の始まりにほかなりませんでした。

1980年代半ば、二人の才能が開花する決定的な舞台となったのが、大阪・ミナミにオープンした「心斎橋筋2丁目劇場」でした。劇場発の夕方情報バラエティ番組『4時ですよーだ』(毎日放送、1987年放送開始)がスタートすると、関西圏の女子中高生を中心に爆発的な人気が過熱。劇場の前には連日、出待ちのファンが数千人規模で押し寄せ、御堂筋周辺の交通が麻痺する事態に発展しました。

この4時ですよーだ社会現象は、単なるお笑い番組の枠を超え、関西の若者文化そのものを牽引する一大ムーブメントとなります。劇場周辺には私服警備員や警察官が配備され、劇場から脱出するために救急車やゴミ収集車に二人を乗せて搬送したという逸話は、まさに心斎橋筋2丁目劇場の熱狂を象徴する出来事でした。アイドル的人気に押し流される恐怖と闘いながら、彼らは自らのネタの純度を極限まで研ぎ澄ましていたのです。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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