昭和の妖怪・岸信介の正体とは?A級戦犯からの電撃復権と激動の裏面史
昭和の妖怪・岸信介の正体とは?A級戦犯からの電撃復権と激動の裏面史とは一体何なのか? 背景や要点を簡潔に解説します。
1941年に東條内閣の商工大臣として開戦詔書に署名した岸信介は、1945年の太平洋戦争敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によってA級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨プリズン(巣鴨拘置所)に収監されます。
東條英機をはじめとする軍指導者たちが極刑に処される中、岸は起訴すらされることなく、1948年12月24日に突如釈放されました。この劇的な生還の背景には、大きく分けて2つの要因が存在します。
第一に、サイパン陥落後に東條首相と激しく対立し、自ら大臣辞任を拒否して東條内閣を退陣に追い込んだ実績が、反東條・早期講和派としての免責材料となった点です。第二に、東西冷戦の激化に伴い、アメリカが対日占領政策を「日本の非軍事化・民主化」から「強固な反共の防波堤化」へと舵を切った「逆コース」の恩恵を受けた点です。
近年機密解除されたアメリカの公文書によって、当時アメリカの情報機関(CIA)が日本の保守合同を促し、左派勢力を抑え込むために保守政客へ秘密工作資金を提供していた事実が明らかになりました。岸自身への直接的な資金提供の多寡については諸説あるものの、彼が冷戦下の強固な親米反共路線を掲げ、アメリカの戦略的パートナーとして電撃復権を果たしたことは紛れもない歴史的事実です。