東大全共闘とは何だったのか?三島由紀夫との伝説討論と安田講堂事件の真相

東大全共闘とは何だったのか?三島由紀夫との伝説討論と安田講堂事件の真相について知っておくべき 理由を厳選して解説いたします。

Q1:東大全共闘と「全学連」は何が違うのですか?
A1:全学連(全日本学生自治会総連合)は学生自治会の連合組織として戦後早くから存在し、日本共産党や新左翼各派の党派的指導下にありました。これに対し、東大全共闘は1968年の東大紛争の中で、既成の自治会や特定党派の縛りを超えて一般学生が結成した臨時の全学共闘組織(ノンセクト主導)です。

Q2:東大入試が中止された1969年、受験生たちはどうなったのですか?
A2:1969年度の東大入試中止により、東大を目指していた約1万人の受験生は京都大学、一橋大学、東京工業大学、東北大学などの他大学へ志望変更を余儀なくされました。その結果、これらの大学の難易度が急騰し、浪人を選択した多くの受験生が翌1970年度の東大入試に再挑戦するなどの大きな混乱が受験界に生じました。

Q3:なぜリーダーの山本義隆氏は大学教授に戻らなかったのですか?
A3:山本氏は自らが「大学解体」や「産学協同批判」を掲げて闘った以上、体制内の大学教授というポストに戻ることは自己欺瞞であると考えたとされています。大学という権威の外側に身を置きながら、予備校で次世代に学問の本質を伝え、独自の科学史研究を成し遂げる道を選びました。

Q4:東大全共闘の闘いは、最終的に社会へ何を残したのですか?
A4:制度としての大学解体は達成できず、政治闘争としては敗北に終わりました。しかし、大学の密室的な管理体制や医学界の封建的なインターン制度の改善を促す大きな契機となりました。また、「何のために学び、誰のために知性を使うのか」という全共闘の根本的な問いは、日本の思想界、文学、サブカルチャーに決定的な影響を与え続けています。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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