「長」がつく都道府県は2つだけ?由来と歴史から紐解く完全解説
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都道府県名の由来まとめを紐解くと、両県における「長」という漢字の定着には、古代から中世・近世に至る地形的特徴と統治の歴史が色濃く反映されています。
長野県の由来:善光寺平に広がる「緩やかな傾斜地」
長野県の由来は、県庁所在地である長野市、とりわけ善光寺の周辺地域を指していた古代の郷名「長野」に根ざしています。
地名語源学の定説によると、「長野」の「長」は単に距離が長いことだけを意味するのではなく、山裾から千曲川に向かって続く「広大で緩やかな傾斜地(長き野)」を指す言葉です。善光寺の門前町として栄えた「水内郡長野村」が、1871年の廃藩置県以降に行政拠点となり、1876年に筑摩県(信濃国中南部の松本周辺)を統合したことで、広大な信州全域を束ねる県名として定着しました。
長崎県の由来:海に突き出す「長い岬」と中世の武士団
一方、長崎県の由来には地形的要因と人名の双方が複雑に絡み合っています。
現在の長崎市中心部にあたる長崎港周辺は、かつて深く切れ込んだ入江に向かって細長い半島(岬)が突き出していました。この「海に伸びる長い岬」の形状から「長崎」と呼ばれるようになったとする地形説が有力です。
さらに鎌倉時代末期から室町時代にかけて、この地を支配した桓武平氏の流れを汲む九州千葉氏の支族が「長崎氏」を名乗り、館を構えたことで地名が確固たるものになりました。1570年の開港、そして江戸時代の出島を通じた対外窓口としての発展を経て、明治維新直後の1868年に設置された「長崎府」がそのまま近代行政区画の名称へと受け継がれています。