甲斐の国とは現在のどこ?信玄が築いた最強拠点と山梨の歴史を徹底解剖
甲斐の国とは現在のどこ?信玄が築いた最強拠点と山梨の歴史を徹底解剖とはどんな影響があるのか? 背景や要点を丁寧に紐解いて紹介します。
信玄の死後、家督を継いだ武田勝頼の代で名門・甲斐武田氏は終焉を迎えます。1582年の甲斐武田氏滅亡の真相を巡っては、1575年の長篠の戦いにおける大敗だけでなく、急激な勢力拡大に伴う財政難や、防衛拠点として新設した新府城への無理な遷都、織田・徳川連合軍の電撃的な侵攻に対する家臣団の離反が重なった結果であると近年の研究で判明しています。
武田氏滅亡後、甲斐国は織田、徳川の支配を経て江戸幕府直轄の「天領」を中心に再編されました。江戸防衛の重要拠点と位置づけられ、五街道の一つである甲州街道が整備されると、甲斐の国は物流と文化の大動脈へと変貌を遂げます。
勝沼宿や台ヶ原宿などの甲州街道の宿場町は旅人や商人たちで賑わい、甲州道中を通じて江戸へ物資が盛んに運ばれました。この宿場町ネットワークを通じて、現在の山梨を代表する甲州葡萄の栽培や甲州印伝などの伝統工芸が花開き、商業地としての確固たる基盤が形成されていきました。