島倉千代子の死因と最期の真相|肝臓がん闘病と奇跡の歌声
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島倉千代子さんが歩んだ道は、決して平坦なスター街道ではありませんでした。その根底にあったのは、身近な人間に対する「信じやすさ」と、それを無慈悲に利用された「裏切りの連続」です。
私生活では、1963年にプロ野球・阪神タイガースのスター選手だった藤本勝巳氏と大恋愛の末に結婚。しかし、当時の芸能界と球界の軋轢や親族の猛反対に遭い、実家からは絶縁に近い扱いを受けます。自分だけの戸籍を作ってまで貫いた愛でしたが、藤本氏が引退後に始めた事業がことごとく失敗。約8000万円という当時としては天文学的な負債を島倉さんが肩代わりする形で、1968年に離婚に至りました。
さらに島倉さんを苦しめたのが、実子に恵まれなかった悲痛な体験です。妊娠するものの、過密スケジュールや精神的ストレス、中絶手術の強要などにより、授かった命を三度も失うという深い傷を負いました。島倉さんは生涯にわたりこの水子たちへの祈りを欠かさず、自身の墓碑にも我が子の魂を偲ぶ「忍(しのぶ)」の名を刻んでいます。
離婚後も悲劇は終わりませんでした。知人の手形裏書や連帯保証人を引き受けたことから、気づけば総額十数億円から数十億円とも言われる莫大な債務の矢面に立たされることになります。一時は占い師・細木数子氏が興行権や債権整理に関与し、公私にわたる関係を結びましたが、金銭管理を巡る軋轢からやがて袂を分かつこととなりました。
普通の人間であれば自己破産を選択し、舞台から姿を消していてもおかしくない絶望的な状況です。しかし島倉さんは、「私の名前を信用してお金を貸してくれた人に迷惑はかけられない」と、睡眠時間を削って全国の地方公演を回り続けました。1987年にリリースされた『人生いろいろ』の大ヒットは、まさに彼女の泥にまみれた実体験と不屈のプライドが、日本全国の老若男女の共鳴を呼んだ必然の結果でした。