天沼弁天池公園の歴史と現在|干上がった池の復活劇と2026最新全貌

今注目を集めている 天沼弁天池公園の歴史と現在|干上がった池の復活劇と2026最新全貌について、詳しいまとめを分かりやすく掲載しています。

天沼弁天池公園の歴史と経緯を紐解くと、武蔵野台地の自然地形と東京の都市化がせめぎ合ってきた生々しい記録に行き当たります。江戸時代から明治・大正期にかけて、この地には豊富な地下水が自噴する巨大な湧水池が存在していました。池の中央に浮かぶ小島には水の神を祀る天沼弁天社が鎮座し、干ばつの際には近隣農民が集まって雨乞いの儀式を執り行う信仰の拠点でもありました。

さらに重要なのは、この池が杉並から中野を経て神田川へと合流する桃園川源流のひとつであった点です。湧水は日量数千トン規模に達し、一帯の水田を潤す命の水として機能していました。当時の古地図や地域古老の手記には「底の砂を巻き上げて清烈な水が噴き出していた」と記録されています。

ところが、昭和30年代以降の高度経済成長期に状況は一変します。周辺の急激な宅地開発や道路のアスファルト舗装化によって雨水が地下へ浸透しなくなり、さらに周辺工場やビルによる地下水の過剰汲み上げが追い打ちをかけました。その結果、昭和40年代半ばには湧水量が激減。昭和50年頃にはついに湧水が途絶え、池は完全に干上がってしまったのです。

水が失われた池跡地は埋め立てられ、当時の日本電信電話公社(現NTT)の社宅用地へと姿を変えました。かつての面影は弁天社を残すのみとなり、新しく移り住んだ住民の間では「かつてここに大きな池があったこと」すら忘れ去られようとしていました。

転機が訪れたのは1990年代後半です。社宅の廃止に伴い、杉並区が約8,200平方メートルにおよぶ敷地を買い取る方針を決定。「天沼の原風景である水と緑を取り戻してほしい」という地元住民の署名活動や強い要望を受け、2000年代初頭から公園化プロジェクトが本格始動しました。

ただし、かつての自然湧水を自然のまま復活させることは、すでに周囲の地下水位が低下しているため不可能でした。そこで区は、深さ約100メートルの深井戸を掘削し、清澄な深層地下水を汲み上げて池に循環させる水流保全工法を採用。こうして2007年(平成19年)4月、実に約30年の歳月を経て「天沼弁天池公園」として水面が劇的に蘇ったのです。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest