馬のエンブレムの車まとめ!フェラーリ・ポルシェの違いと歴史の真相

馬のエンブレムの車まとめ!フェラーリ・ポルシェの違いと歴史の真相の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。

車好きの間で長年語り継がれる最大のミステリーが、「なぜイタリアのフェラーリとドイツのポルシェが、ともに瓜二つの跳ね馬をシンボルにしているのか」という点です。単なる偶然や模倣ではなく、この2つのエンブレムは第一次世界大戦の戦火を通じて直接結びついていたという劇的な史実が存在します。

フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの手記や公式記録によると、1923年、若きレーシングドライバーだったエンツォがサヴィオ・サーキットで初優勝を飾った際、第一次世界大戦のイタリア空軍撃墜王フランチェスコ・バラッカ少佐の両親(バラッカ伯爵夫妻)と出会いました。母親であるパオリーナ伯爵夫人は、エンツォの卓越した走りを称賛し、次のように語りかけたと記録されています。

「フェラーリよ、私の息子の飛行機に描かれていた跳ね馬のマークをあなたの車につけなさい。そうすれば、それはあなたに大きな幸運をもたらすでしょう」

国家の英雄だったバラッカ少佐の愛機には、漆黒の跳ね馬がパーソナルマークとして描かれていました。では、なぜイタリアの撃墜王が跳ね馬を描いていたのか。ここにポルシェとの決定的な接点があります。当時の航空戦における有力な歴史研究によると、バラッカ少佐が撃墜した敵機(ドイツ軍機)のパイロットが、名馬の産地として名高く、市の紋章に跳ね馬を掲げていたドイツ・シュトゥットガルト市出身であったことから、戦利品の証としてその紋章を愛機にペイントしたという経緯が明らかになっています。

一方のポルシェは、1931年にフェルディナント・ポルシェ博士が本拠地を構えた地こそが、まさにそのシュトゥットガルト市でした。「シュトゥットガルト(Stuttgart)」という都市名自体が、古代ドイツ語の「Stutengarten(牝馬の園・種馬飼育場)」に由来しており、市の公式紋章には950年頃から跳ね馬が刻まれていました。1950年代初頭、北米市場への進出に際してブランドの格式を示すエンブレムの制定を求めたマックス・ホフマン(米ポルシェ輸入総代理店)の進言を受け、ポルシェ社は地元シュトゥットガルトの市章とヴュルテンベルク州の紋章を一体化させた現在のクレストを完成させたのです。

すなわち、フェラーリの跳ね馬は「撃墜王が持ち帰ったシュトゥットガルトの馬」であり、ポルシェの跳ね馬は「シュトゥットガルト市そのものの馬」という、奇しくも同じドイツの古都の血統を引く兄弟のような関係にあったのです。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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