橘逸勢の真筆か?伊都内親王願文の真相と躍動する書風・現代語訳を解剖
橘逸勢の真筆か?伊都内親王願文の真相と躍動する書風・現代語訳を解剖とはどんな影響があるのか? 専門的な分析を丁寧に紐解いて紹介します。
書道史において、本作最大の論争点であり続けているのが「果たしてこれは本当に橘逸勢の真筆なのか」という疑問です。橘逸勢は、延暦23(804)年に最澄や空海と同じ遣唐使船で唐へ渡り、かの地で書名の高さを称賛されて「橘秀才」と呼ばれた平安屈指のエリート能書家です。帰国後は嵯峨天皇、空海とともに「三筆」と並び称されました。
しかし、橘逸勢には極めて奇妙な謎がつきまといます。それは、国宝『風信帖』をはじめ多数の真跡が確認されている空海や、宸翰が伝わる嵯峨天皇に対し、橘逸勢には「100%彼が書いた」と確定できる遺墨が他にほとんど現存しないという事実です。したがって、この『伊都内親王願文』こそが逸勢の唯一無二の基準作とされてきました。
書道史の専門家や調査機関の検証では、筆者否定説と肯定説の双方が長年議論を戦わせてきました。否定説の論拠としては、天長10年当時の逸勢の官歴(地方官への赴任時期との整合性)や、公的願文にしては破格すぎる書きぶり、あるいは代筆者の存在が挙げられます。一方、肯定説の研究者は、唐で培われた最新の書論を吸収しながらも、既存の中国的な唐様の枠組みを打ち破った「才気煥発な個性の爆発」は逸勢以外の何者にもなし得ないと主張します。後述する空海との比較を見れば、その異様とも言えるオリジナリティは明白です。
空海の代表作『風信帖』と比較すると、その違いは火を見るより明らかです。空海の書は、唐の顔真卿や晋の王羲之を徹底的に消化した上で、筆の穂先を中心軸に保つ「中鋒(直筆)」で引かれた、骨太かつ格調高い構築美を誇ります。これに対し、『伊都内親王願文』は筆を意図的に傾けて紙面に叩きつけるような「側筆」を多用し、線が刃物のように鋭利に切り込みます。規範に縛られないその躍動感は、同時代の宮廷貴族たちに計り知れない衝撃を与えたはずです。