下野国一之宮・宇都宮二荒山神社の真相|日光との違いと95段の理由
下野国一之宮・宇都宮二荒山神社の真相|日光との違いと95段の理由を詳しくリサーチ! 読者が気になる 重要ポイントを分かりやすく展開します。
県外からの旅行者の間で絶えない誤解が、「宇都宮二荒山神社は日光二荒山神社の分社、あるいは関連施設ではないか」という認識です。結論から述べれば、この2社は祭神・創建の起源・神道上の歴史的文脈が根本から異なる、完全に独立した神社です。
まず決定的な相違点は「社名の読み方」と「主祭神の性質」にあります。日光は男体山(古名:二荒山)を神体山と仰ぐ山岳信仰に端を発し、読みは「ふたらさんじんじゃ」と呼ばれます。主祭神は大己貴命(大国主神)をはじめとする日光三所権現です。これに対して宇都宮は「ふたあらやまじんじゃ」と訓読みし、主祭神には第10代崇神天皇の第一皇子である「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」を祀っています。
豊城入彦命は、古代大和朝廷から東国の平定と開拓を命じられた英雄神です。社伝によれば、仁徳天皇の御代に毛野国(古代の栃木・群馬エリア)の統治を任された奈良別王(ならわけのおう)が、始祖である豊城入彦命の偉業を称えて明神山に祀ったのが宇都宮二荒山神社の始まりとされています。つまり、日光が「大自然の山岳霊場」であるのに対し、宇都宮は「領民統治と開拓・軍事の拠点神」として成立したという本質的な相違が存在します。
平安期に編纂された『延喜式神名帳』において下野国の名神大社として記載された「二荒山神社」がどちらを指すのかをめぐっては、中世から近世にかけて激しい一之宮論争が繰り広げられた歴史があります。平泉討伐へ向かう源頼朝が戦勝を祈願し神領を寄進したことや、宇都宮城主・宇都宮氏が歴代の大宮司を兼ねて武家の守護神とした事実から、政治・軍事の中心地たる宇都宮の社が下野国の総鎮守として不動の地位を築き上げました。地名である「宇都宮」そのものが、この神社が「現(うつ)つ神のみや」「一之宮(いちのみや)」と尊崇されたことに由来するという説は、歴史学界でも極めて有力な定説となっています。