米なき極寒の地でなぜ大名に?松前藩の蝦夷地支配と激動史の全貌
米なき極寒の地でなぜ大名に?松前藩の蝦夷地支配と激動史の全貌の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。
松前藩の蝦夷地支配が強化される過程で、アイヌ民族との間には決定的な衝突が幾度も発生しました。その最大の画期となったのが、1669年(寛文9年)に勃発した「シャクシャインの戦い」です。
不平等な交易条件や和人商人による不当な圧迫に対し、シブチャリ(現在の新ひだか町静内)の首長シャクシャインが呼びかけ、東部から西部にかけてのアイヌが一斉に蜂起しました。和人の交易船が襲撃され、松前藩は未曾有の危機に陥ります。松前藩は幕府から鉄砲や兵糧の支援を受けて反撃に出るも戦線は膠着。最終的に松前藩は和睦を申し出ましたが、その祝宴の席でシャクシャインを謀殺し、反乱を力ずくで鎮圧しました。
この戦いを境に、対等な取引関係だったアイヌとの関係は、松前藩が優位に立つ主従関係へと決定的に変質しました。その後、1789年のクナシリ・メナシの戦いやロシア船の南下という外圧が加わると、北辺の海防を危惧した江戸幕府によって蝦夷地は一時的に直轄地化(上知)され、松前藩は陸奥国梁川(現在の福島県伊達市)へ転封されるなど、幕末に向けて激変の荒波に呑まれていくことになります。