楚の宰相・春申君の悲劇的な最期とは?李園に殺された真相と史実の全貌
楚の宰相・春申君の悲劇的な最期とは?李園に殺された真相と史実の全貌とは一体何なのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。
戦国時代を象徴するステータスシンボルが「食客(居候の客分)」の多さです。春申君のもとには、天下から腕自慢や策士が集まり、その数は「食客三千人」に達したと伝えられています。
『史記』春申君列伝には、彼の並外れた財力と見栄の張り合いを示す有名な逸話が残されています。ある時、趙の平原君から派遣された使者が、春申君の食客たちを威圧しようと、亀の甲羅の簪(かんざし)や宝剣の鞘を自慢げに見せつけました。
それを見た春申君の上位の食客たちは、なんと全員が「真珠を散りばめた靴(珠履)」を履いて出迎えました。趙の使者は自らの浅はかさを恥じ入り、春申君の圧倒的なスケールに平伏したといいます。富と人材を集めることで自らの権勢を天下に誇示し、楚の求心力を高めるプロパティ・ブランディングの手腕にも長けていました。