心琴に触れるは誤用?琴線に触れるとの違いと語源を徹底解説

心琴に触れるは誤用?琴線に触れるとの違いと語源を徹底解説とはどのようなものなのか? 詳しい意味を丁寧に紐解いて紹介します。

結論から明示すれば、「心琴に触れる」という成句は日本語の正しい慣用句としては存在せず、明白な誤用です。広辞苑、大辞林、明鏡国語辞典などの代表的な国語辞典を網羅的に調査しても、「心琴に触れる」を見出し語として収録している辞書は一冊も確認できません。

多くの人が「心琴に触れるの意味」として想像するのは、「心の奥深くで深く感動すること」です。しかし、正しくは「琴線に触れる(きんせんにふれる)」であり、「心」という漢字がどこから紛れ込んできたのかが混同の核心と言えます。

言葉の構成要素である「心琴(しんきん)」の読み方と語源を辿ると、この単語自体は完全に架空のものではありません。中国語において「心琴(xīnqín)」は「心の中にある琴」、すなわち外部からの刺激によって音を奏でるデリケートな感情の比喩として詩や散文で用いられる事例があります。また、日本でも明治から大正期にかけての漢詩や翻訳文学、近代詩歌のなかで「心琴」という造語的なレトリックが限定的に試みられた形跡が見られます。しかし、日本の定着した慣用句として「〜に触れる」という述語と結合して受け継がれてきた歴史はありません。

ネット上のQ&Aサイトやオフィスの現場では、「心の琴線に触れる」という表現を短縮しようとして、あるいは「心琴」という漢語の響きに引っ張られて無意識に合成してしまったケースが多発しています。いわば「琴線に触れる」と「心」が中途半端に混ざり合った混淆(こんこう)表現であり、公の文書で使うべきではない言葉です。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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