怪優・三國連太郎の壮絶伝説|佐藤浩市との確執・抜歯と散骨遺言の真相
怪優・三國連太郎の壮絶伝説|佐藤浩市との確執・抜歯と散骨遺言の真相にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。
三國連太郎という俳優を語る上で欠かせないのが、徹底したリアリズムの追求が生んだ数々の伝説です。なかでも映画ファンの間で語り草となっているのが、1957年の映画『異母兄弟』における前代未聞の抜歯エピソードでしょう。
当時30代半ばだった三國は、物語後半で老人へと老け込む軍人役を演じるにあたり、メイクや特殊造形に頼ることを潔しとしませんでした。リアリティを極限まで高めるため、なんと健康な自身の上下の歯を10本も抜歯して撮影に臨んだのです。頬が自然にこけ、口元にしわが刻まれる劇的な変化は観客と映画関係者を震撼させました。当時の撮影所関係者の記録によると、歯科医が「抜く必要のない歯だ」と猛反対したにもかかわらず、三國は頑として聞き入れなかったと伝えられています。
こうした妥協を許さない姿勢は、彼の波乱に満ちた生い立ちと若い頃の原体験に根差しています。1943年、太平洋戦争の徴兵令状を受け取った際、三國は軍国主義に激しく抵抗し、母親からの「生き延びなさい」という言葉を胸に徴兵拒否・逃亡を決行。逃亡の末に憲兵隊に拘束され、中国戦線へと送られるという凄絶な逃避行を経験しました。
戦後、スカウトを経て木下惠介監督の映画『善魔』(1951年)で銀幕デビューを果たした際、演じた役名「三國連太郎」をそのまま自身の芸名にしたことも有名な逸話です。生と死の狭間をくぐり抜けた経験が、虚飾を嫌い、肉体を極限まで追い込む「怪優」の土台を形成しました。