大津事件の真相|ロシア皇太子襲撃の動機と司法の独立を守った裏側
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警備の責任者であるべき現役警察官が、なぜ国賓に刃を向けたのか。事件直後から捜査当局による徹底的な尋問が行われ、その供述調書には当時の社会情勢と個人のトラウマが複雑に絡み合った心理状態が生々しく記録されています。
津田三蔵は伊勢津藩の武家出身で、明治維新後は陸軍に入隊して1877年の西南戦争に従軍した経歴を持っていました。西郷隆盛率いる反乱軍を鎮圧した功績で勲七等青色桐葉章を授与されていた津田にとって、武士としての矜持と軍功は自尊心の根幹でした。しかし、世間には「西郷隆盛は死んでおらず、ロシアへ逃れて再起を窺っている」という根拠のない流言飛語が蔓延していました。津田はこの風説を真に受け、ロシア皇太子の来日を「西郷を連れ戻し、日本を武力侵略するための下見(スパイ工作)である」と妄信していたとされています。
さらに、津田の精神を苛んでいたのが、旧士族としての凋落と排外主義(外国人嫌悪)でした。開港以来、不平等条約に苦しむ日本の姿を見て「外国人にへつらう政府」へ強い不満を抱いていた津田は、皇太子の来日に熱狂する世間の空気に激しい憤りを覚えていました。供述書では「北方の脅威であるロシアの皇太子に過剰な敬意を払うことは国辱である」といった歪んだ愛国心が吐露されています。個人的な武功への妄執、西郷生存説への強迫観念、そしてナショナリズムの暴走が交錯した末の凶行でした。