美智子さまの若い頃が美しすぎる!令嬢時代からご成婚までの秘話
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日本中を揺るがす歴史の転換点となったのが、1957年(昭和32年)8月19日、長野県・軽井沢会テニスコートで開催されたテニストーナメントでした。
当時、皇太子であられた明仁親王(現上皇さま)と美智子さまは、混合ダブルスの準々決勝で対戦。美智子さまのペアが粘り強いプレーで勝利を収めました。皇太子殿下は、ご自身に対して一切の手加減をせず、正々堂々と爽やかにプレーする美智子さまの聡明さと誠実な人柄に深く心を奪われたと伝えられています。
その後、テニスを通じて交流を深められる中で、皇太子殿下は美智子さまへ写真をお贈りになるなど、熱心なアプローチを重ねられました。電話での対話を重ねる中で、殿下は「皇室という厳しい環境に入る美智子さんを守り抜く」という固い決意を伝えられたとされます。
民間から初めて皇太子妃を迎えることに対する宮内庁内外の慎重論や、正田家側の「恐れ多い」という辞退の意向を乗り越え、1958年(昭和33年)11月27日、皇室会議において満場一致でご婚約が正式決定しました。
翌1959年(昭和34年)4月10日に行われた「結婚の儀」と「ご成婚パレード」は、日本社会に未曾有の熱狂をもたらしました。
- 沿道の観衆:皇居から東宮仮御所までの約8.8キロの沿道に、推定53万人もの人々が詰めかけました。
- テレビ普及の起爆剤:パレードを生中継で見るために日本全国でテレビの購入ブームが起き、受像契約数は前年の約100万台から一気に200万台を突破しました。
- ミッチー・ブームの過熱:美智子さまの髪型、ファッション、身につけられたアクセサリーが即座に完売するなど、日本初の国民的ファッションアイコンが誕生した瞬間でした。