戦国最強の智将・直江兼続の真実!愛の前立と直江状に秘めた覚悟

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慶長5年(1600年)、豊臣秀吉の死後に覇権を握ろうとする徳川家康は、上杉景勝に対して軍備増強や城郭改修の疑いをかけ、釈明のための上洛を要求しました。これに対し、兼続が家康の側近である僧侶・西笑承兌(さいしょうじょうたい)へ送った返書が、世に言う「直江状(なおえじょう)」です。

「田舎武士が武具を整えるのは当然の嗜み」「景勝に逆心なしと誓紙を求めても、相手が信用せねば無意味」「噂話を鵜呑みにして上杉を討つというなら、受けて立つほかない」といった全16箇条に及ぶ論理的かつ辛辣な反論は、家康を激怒させ、会津征伐(ひいては関ヶ原の戦い)の直接的な引き金となりました。

関ヶ原の合戦が始まると、兼続は徳川方に組する最上義光(もがみ よしあき)の領地へ侵攻し、激戦となった「長谷堂城の戦い(はせどうじょうのたたかい)」を指揮します。しかし、本戦で西軍がわずか半日で敗北した報が届くと、兼続は即座に撤退を決断。盟友・前田慶次(前田利益)らとともに自ら殿(しんがり)を務め、最上・伊達の追撃軍を相手に驚異的な統率力を見せて自軍をほぼ無傷で退却させました。この鮮やかな退却戦は、敵将・最上義光からも「兼続の軍配、神の如し」と称賛されました。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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