「鉄の女」サッチャーは何を変えたのか?政策の功罪と激動の生涯

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サッチャーが政権を掌握した当時のイギリスは、高いインフレ率、度重なるストライキ、放漫な社会保障費によって経済が麻痺状態に陥る「英国病(British Disease)」のどん底にありました。この閉塞感を打破すべく断行された一連の構造改革が「サッチャリズム(Thatcherism)」です。

サッチャリズムの根底にあるのは、市場原理主義と小さな政府を信奉する新自由主義思想でした。国家の過剰な介入を排し、個人の責任と自由競争を促すため、歴代政権が維持してきた福祉国家路線の解体に踏み切ったのです。

政策の主軸となったのは以下の4点です。

  • マネタリズムによるインフレ抑制:通貨供給量を厳格に管理し、金利を引き上げることで、当時20%近くに達していた狂乱インフレを鎮静化させました。
  • 国営企業の民営化と規制緩和:ブリティッシュ・テレコム(BT)、ブリティッシュ・ガス、ブリティッシュ・エアウェイズなどの巨大国営企業を次々と株式公開し、市場競争へ投入しました。
  • 金融ビッグバン(1986年):ロンドン証券取引所の取引手数料自由化や外国資本の参入制限撤廃を断行し、ロンドンを世界最高峰の国際金融都市「シティ」として復活させました。
  • 労働組合改革と対決:ストライキの事前投票義務付けなど法改正を重ね、産業界を牛耳っていた労組の政治的影響力を削ぎ落としました。

なかでも歴史の分水嶺となったのが、1984年から1985年にかけての炭鉱ストライキです。不採算炭鉱の閉鎖を発表した政府に対し、アーサー・スカーギル率いる全国炭鉱労働組合(NUM)は1年近くに及ぶ全面ストで抵抗しました。サッチャー政権は周到に石炭の備蓄を進め、警察力を動員して妥協を一切拒否。最終的に労組側を完全敗北へと追い込みました。この勝利により、戦後英国を縛り続けてきた強力な労組支配は終焉を迎えましたが、北部やウェールズなどの鉱山地域には壊滅的な産業空洞化がもたらされました。

項目詳細・数値データ一般的な基準・相場編集部の見解・評価インフレ率の推移就任時約18.0% → 最低4.2%(1986年)へ劇的抑制主要国の適正インフレ目標は2.0%前後高金利政策による劇薬療法でインフレ退治には明確に成功完全失業率の急増就任時約5.3%(約140万人) → ピーク時11.9%(300万人超)構造改革期の摩擦的失業率は5〜7%程度製造業切り捨てにより地方に深刻な失業者群を生み出した主因国営企業の民営化40社以上の公社を売却、個人株主数が300万人から1000万人超へ急増一部重要インフラの民間移管「大衆資本主義」を定着させたが、鉄道や水道料金の高騰を招いた側面もフォークランド戦勝効果内閣支持率が20%台半ばの低迷から一気に50%超へ倍増通常の内閣支持率は40〜50%で安定推移軍事作戦の成功が1983年総選挙の圧勝劇を決定づけた
佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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