旧国名・甲斐はなぜ山梨県に?武田信玄の治世と地名由来の真相

旧国名・甲斐はなぜ山梨県に?武田信玄の治世と地名由来の真相の背景について、専門知識を取りまとめてご紹介します。

山梨県を指す旧国名である「甲斐」という呼び名は、日本の歴史の黎明期から文献に登場します。『古事記』や『日本書紀』の景行天皇紀には、ヤマトタケル(日本武尊)が東征の帰途に甲斐の「酒折宮(さかおりのみや・現在の甲府市酒折)」に立ち寄り、「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と連歌を投げかけた伝承が克明に記されています。

では、そもそもなぜこの地域が「甲斐」と呼ばれるようになったのか。その地名由来には主に以下の3つの有力な説が存在します。

もっとも地形的特徴を的確に捉えているとされるのが「峡(かひ)」説です。山と山に挟まれた谷間や狭隘な土地を古語で「峡(かい)」と呼びました。甲斐国は西に南アルプス、北に八ヶ岳、東に奥秩父山塊、南に御坂山地や富士山を抱え、平野部が山に深く囲まれた盆地構造を成しています。古代の人々がこの地を遠望した際、山の狭間にある国として「峡の国」と呼んだことが語源になったという見解です。

次代の研究者から支持を集めるのが「交ひ(かひ)」説です。山に囲まれながらも、甲斐は古来より信濃(東山道)、駿河・相模(東海道)を結ぶ複数の峠道が交差する要衝でした。異なる地域の人や物資が交錯する結節点=「行き交う場所」を意味する言葉が転じて国名になったと解釈されています。さらに養蚕が盛んであったことから蚕を飼う「飼ひ」に由来する説や、山の峰が重なり合う「重(かさな)ひ」が転訛したとする説など、自然環境と古代人の営みが密接に結びついた諸説が今に伝えられています。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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