山梨の旧国名「甲斐国」の謎|なぜ甲斐や甲府ではなく山梨県になったのか
話題沸騰中の 山梨の旧国名「甲斐国」の謎|なぜ甲斐や甲府ではなく山梨県になったのかについて、多角的な視点を整理して公開しています。
Q1:山梨県の旧国名は「甲斐国」以外にも呼び名がありますか?
A1:正式な令制国名は「甲斐国」ですが、中国風の別称として「甲州(こうしゅう)」が古くから広く使われていました。また、甲斐源氏や武田氏の領国であったことから「武田の領国」などと呼ばれることもありました。
Q2:「甲州街道」の名前はなぜ明治以降に「山梨街道」にならなかったのですか?
A2:街道名は江戸幕府の五街道制度に基づいて「江戸から甲州(甲斐国)へ向かう道」として定着していたためです。明治期以降も歴史的な街道の呼称として民間・交通網に定着しており、あえて「山梨街道」へ改称する必要性がなかったため、現在でも甲州街道(現在の国道20号など)の名で呼ばれ続けています。
Q3:武田信玄の時代、山梨はどのように呼ばれていましたか?
A3:戦国時代においても、この地域全体は「甲斐」または「甲州」と呼ばれていました。甲府という地名自体も、信玄の父・武田信虎が1519年に躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)へ本拠を移した際、「甲斐国の府中(政治の中心)」を略して「甲府」と命名したことに由来しています。
Q4:山梨県のように「旧国名とも県庁所在地とも違う県名」になった地域は他にありますか?
A4:神奈川県(旧武蔵・相模/県庁:横浜市)、兵庫県(旧摂津・播磨など/県庁:神戸市)、愛媛県(旧伊予/県庁:松山市)など全国に多数存在します。これらはすべて、県庁が置かれた町が所属していた「郡名」や、開港場の地名を採用した明治政府の統一ルールによるものです。