お台場は何区?実は3区に分断されていた衝撃の真相を徹底解説
お台場は何区?実は3区に分断されていた衝撃の真相を徹底解説とはどんな影響があるのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。
そもそも、なぜ1つの埋立地にわざわざ3つの基礎自治体が割り込むことになったのでしょうか。その背景には、1970年代から1990年代にかけて繰り広げられた自治体間の壮絶な「東京湾埋立地 帰属問題」が存在します。
現在のお台場中心部にあたる広大な人工島は、かつて東京都の都市計画において「東京湾埋立第13号地」と呼ばれていました。埋立が完了に近づくにつれ、東京都心部でこれほど広大な土地が新たに生まれることは二度とないことから、周辺の港区、江東区、品川区の3区がそれぞれの正当性を掲げて領有権を激しく主張し始めたのです。
当時の報道記録や都の公文書によると、各区の主張は以下のように真っ向から対立していました。
- 江東区の主張:「昭和40年代の深刻なゴミ問題において、江東区民は悪臭やハエの大量発生に耐えながら東京中から集まるゴミ埋立を受け入れてきた。犠牲を払ってきた江東区に全域を帰属させるのが筋である」
- 港区の主張:「江戸時代末期、ペリー来航に備えて砲台(台場)を築造したのは幕府であり、港区側の海岸から延びる歴史的・地理的連なりがある。台場の史跡を持つ港区に編入されるべきだ」
- 品川区の主張:「第13号地の海域は、古くから品川の海苔養殖漁民が漁業権を行使してきた生活の場である。水面利用の歴史的権利を無視して他区に帰属させることは到底容認できない」
三者とも一歩も引かない泥沼の協議が約20年間にわたり続きました。バブル期のウォーターフロント開発構想や1996年に予定されていた「世界都市博覧会」(後に青島幸男都知事によって中止)の開催準備が迫る中、住所が決まらなければ都市基盤の整備や建築確認、消防・警察の管轄すら確定できない危機的状況に陥ったのです。
事態を重く見た東京都は調停に乗り出し、1996年(平成8年)についに最終決着が下されました。埋立地全体の面積比率は、江東区が約68%(青海・有明地区)、港区が約23%(台場地区)、品川区が約9%(東八潮地区)という按分で分割され、現在の3区の境界線が確定したのです。