大分・春日浦海岸はなぜ消えた?埋め立ての歴史と臨海公園の今に迫る
大分・春日浦海岸はなぜ消えた?埋め立ての歴史と臨海公園の今に迫るの疑問点について、最新情報を取りまとめてご紹介します。
市民に愛された白砂青松の海岸が姿を消す転機となったのは、1960年代(昭和30年代後半)に巻き起こった全国的な産業構造の転換でした。当時、大分県は農業県からの脱却を図り、自立的な経済基盤を築くため、大規模な重化学工業の誘致を柱とする開発計画を策定します。
1964年(昭和39年)、大分地区は国の「新産業都市」に指定されました。この一大国家プロジェクトを推進するため、別府湾沿岸の遠浅な海を埋め立てて巨大な用地を創出する「大分臨海工業地帯」の造成事業が本格化します。春日浦海岸もその埋め立て対象エリアの中心に含まれており、製鉄所や石油化学コンビナート、火力発電所といった基幹産業の受け皿となる用地へと姿を変えていくことになりました。
経済成長と雇用の創出、地域の近代化という大きな果実を手に入れる一方で、親しまれた自然海岸を失うことに対する惜別の声は少なくありませんでした。しかし、当時の大分が選んだ工業都市への飛躍という決断が、今日の県経済の強固な基盤を築いたことも揺るぎない事実です。