甦る関東七名城の真実!宇都宮城址公園の復元と激闘の歴史に迫る

甦る関東七名城の真実!宇都宮城址公園の復元と激闘の歴史に迫るにまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。

宇都宮城の起源は、平安時代末期に藤原宗円が築いた居館にまで遡る。室町から戦国期にかけては名族・宇都宮氏が拠点を置いたが、この城を近世城郭へと劇的に進化させた立役者こそ、徳川家康の側近として権勢を誇った本多正純である。正純は日光東照宮への参詣ルートとなる将軍御成御殿を整備し、城下町を大改修して堅牢な要塞へと仕立て上げた。しかし、その華々しい栄華は「宇都宮城釣天井事件」の嫌疑による正純の失脚によって暗転する。釣天井の伝説自体は後世の創作とされるものの、権力闘争の舞台となるほど、当時の宇都宮城が政治的・軍事的に重要な拠点であった証左にほかならない。

明治維新の戦乱と近代化の波によって建物のすべてを失い、堀は埋め立てられ、城址の大部分は住宅地や官公署へと姿を変えた。戦後も長らく土塁の一部が残るのみだったが、1980年代以降、「街の象徴を取り戻したい」という市民の声が急速に高まりを見せる。これを受けて宇都宮市が舵を切ったのが、大規模な宇都宮城復元整備事業であった。

本丸跡に隣接する宇都宮市役所と連携し、発掘調査と古写真・絵図の徹底的な解析が進められた。復元に際しては、歴史的景観の厳密な再現と現代の防災・都市公園機能を両立させるという難題に直面。土塁の内部構造には埋蔵文化財を保護するための特殊工法が採用され、上部に木造伝統工法で清明台(せいめいだい)と富士見櫓(ふじみやぐら)が再建された。城郭史の専門機関である公益財団法人日本城郭協会などの知見も参照されながら進められたこのプロジェクトは、単なる観光開発を超え、市民が自らのアイデンティティを再構築する壮大な試みとなったのである。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest