江戸時代の平均身長はなぜ最も低かった?骨格データが暴く真相
江戸時代の平均身長はなぜ最も低かった?骨格データが暴く真相の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。
「粗食にあえぐ庶民だけが小さく、特権階級の武士や大名は栄養状態が良くて大柄だったのではないか」という仮説が立てられることがあります。しかし、増上寺の徳川将軍家墓所の改葬に伴って実施された徳川将軍の身長調査(鈴木尚博士らによる総合調査)は、皮肉な現実を示しています。
調査された歴代将軍の骨格データによると、初代・家康公こそ約159cmと当時としては平均以上あったものの、2代・秀忠公は約160cm、6代・家宣公は約160cm、7代・家継公(夭折)は約135cm、9代・家重公は約156cm、12代・家慶公は約154cm、14代・家茂公は約156cmと、代を重ねるごとに体格が小型化、あるいは華奢になっていく傾向が確認されました。将軍家においても白米偏食や偏った食膳、軟弱な咀嚼習慣、そして重度の脚気が慢性化していたことが判明しています。
一方、江戸市中の武士と庶民の体格差を詳細に分析すると、旗本・御家人クラスと町屋の庶民では骨の頑丈さや四肢骨の長さにおいてわずかな差異が観察されます。しかしそれは「武士が大柄だった」というよりも、肉体労働に従事していた職人層や飛脚の方が骨膜の肥厚が見られるなど、生活様式の負荷による骨格形成の違いにとどまり、絶対的な身長差としては1〜2cm程度の誤差範囲に収まっていたのが実情です。