萬屋家系図の全貌|中村獅童と時蔵・錦之介が繋ぐ名門血脈と最新襲名

萬屋家系図の全貌|中村獅童と時蔵・錦之介が繋ぐ名門血脈と最新襲名の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。

歌舞伎界の系譜を理解するうえで最大のポイントとなるのが、「萬屋と播磨屋の違い」です。この二つの屋号は全くの無関係ではなく、明治から大正にかけて上方歌舞伎と東京歌舞伎の双方で決定的な足跡を残した三世中村歌六を共通の始祖としています。

三世歌六の実子たちによって、現代へと続く巨大な歌舞伎の血脈が形成されました。長男が不世出の名優である初代中村吉右衛門(屋号:播磨屋、本姓:波野)、次男が三代目中村時蔵(本姓:小川)、そして四男が十七代目中村勘三郎(屋号:中村屋、波野家へ養子入り)です。当初、三代目時蔵の一門も本家と同じく「播磨屋」を屋号として名乗っていました。

転機が訪れたのは1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけてのことです。昭和の名人として君臨した初代吉右衛門の没後、播磨屋本家は養子である初代松本白鸚(八代目市川幸四郎)や二代目中村吉右衛門へと継承されていきました。その過程で、三代目時蔵の遺児たち——長男の小川三喜雄(初代中村獅童)、次男の四代目中村時蔵、三男の中村錦之助(後の萬屋錦之介)、四男の中村嘉葎雄らは、一門の独自性を確立すべく、三世歌六の妻・秀の実家が営んでいた商家「萬屋」にちなみ、屋号を「萬屋」へと改号しました。

すなわち、「播磨屋=波野家(吉右衛門系)および小川家の一部(歌六系)」、「萬屋=三代目時蔵をルーツとする小川家」という明確な棲み分けが成立したのです。血縁上は従兄弟や叔父甥の極めて近い関係にありながら、看板とする屋号を分けた背景には、巨大な名跡の影に甘んじることなく自らの芸の城を築こうとした、当時の気骨あふれる俳優たちの矜持がありました。

中川 明日香

中川 明日香

ビジネス戦略アナリスト

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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