真田幸村の子孫は現在どこに?400年の血脈を継ぐ末裔の職業と衝撃の真相
真田幸村の子孫は現在どこに?400年の血脈を継ぐ末裔の職業と衝撃の真相の真相について、専門知識を基に徹底解説します。
大坂落城の直前、幸村が下した決断は敵味方の垣根を越えた人間ドラマとして語り継がれています。自らの死を覚悟した幸村は、道明寺の戦いなどで激闘を交え、その武勇と人柄を認めた伊達政宗の重臣・片倉重長を密かに頼りました。幸村は、自身の娘である阿梅(おうめ)や次男の真田大八ら幼い子どもたちを片倉陣営へと託したのです。
徳川幕府による豊臣方の残党狩りは極めて苛烈を極めました。しかし、片倉重長は阿梅を継室(後妻)として迎え入れ、大八については「片倉四郎兵衛」と名乗らせて身元を完全に隠蔽。さらに幕府からの詮索に対しては「大八は京都で病死した」と偽りの報告を上げ、伊達家総出で幸村の遺児を匿い通しました。
その後、成人した大八は片倉守信と名乗り、仙台藩士として仕官。幕府の警戒が緩んだ4代将軍・徳川家綱の時代になり、守信の長男である辰信の代に正式に「真田」の姓へ復することを許されました。敵将の義侠心と周到な計略によって、大坂の陣を生き延びた血脈は仙台の地で力強く根を張ることとなったのです。