国宝・阿修羅像はなぜ憂い顔?3つの顔と6本の腕に隠された哀しき真相

国宝・阿修羅像はなぜ憂い顔?3つの顔と6本の腕に隠された哀しき真相についての真相をご紹介します。

興福寺の阿修羅像が誕生したのは、奈良時代の天平6年(734年)のことです。発願したのは聖武天皇の妃である光明皇后でした。前年に亡くなった最愛の母・橘三千代(たちばなのみちよ)の一周忌に際し、母の冥福を祈るために興福寺境内に「西金堂(さいこんどう)」を建立。そこに釈迦如来像とともに安置されたのが、阿修羅を含む「八部衆」と「十大弟子」の像でした。

当時の平城京は、政治的政変や天然痘の流行など、社会不安と死の影が色濃く漂っていた時代です。さらに光明皇后自身、生後間もない我が子・基皇子(もといおうじ)を亡くすという深い悲痛を経験していました。阿修羅像の少年のような面差しには、早世した我が子への思慕や、遺された者たちの拭いきれない哀傷が投影されているという説も根強く囁かれています。

制作を指揮したのは、百済系の渡来人仏師・将軍万福(しょうぐんまんぷく)と画師・秦牛養(はたのうしかい)と記録されています。彼らは異国の神話的意匠を取り入れつつ、日本の貴族社会が抱える哀歓と祈りを極めて洗練された美へと昇華させました。

加藤 愛美

加藤 愛美

エンタメ専門ジャーナリスト

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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