のし梅は元々薬だった?山形銘菓の謎と佐藤屋が生んだ進化の真相
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山形を代表する名物菓子「のし梅」のルーツを辿ると、江戸時代初期にまで時計の針を巻き戻すことになります。定説とされる記録によると、山形藩主・最上義光公の時代、城付きの典医であった小林玄得が中国の医学書をもとに考案した「梅肉エキス」がその始まりです。当時の山形盆地は夏場の湿気と猛暑が極めて厳しく、赤痢やコレラといった感染症や食中毒、熱中症が命を脅かす深刻な問題でした。
小林玄得が作り出したのは、梅の実をすり潰して煮詰め、天日に干して板状に固めた民間薬「濃縮梅肉膏」でした。梅に含まれる豊富なクエン酸による殺菌作用や疲労回復効果に着目したこの処方は、藩内だけでなく出羽三山を目指す修道者や旅人の携帯用胃腸薬として重宝され、まさに命を繋ぐ家庭薬として重用されたのです。
この滋養強壮薬が現在のような甘酸っぱい嗜好品へと生まれ変わったのは、明治時代に入ってからのことです。砂糖の流通が一般化した明治初期、山形の菓子職人たちが「薬の効能を残しながら、誰もが美味しく食べられる菓子にできないか」と試行錯誤を重ねました。すり潰した完熟梅のピューレに寒天と上質な砂糖を加え、薄く延ばして乾燥させる製法を確立したことで、山形名物のし梅は全国に誇る銘菓としての第一歩を踏み出したと伝えられています。