日の丸の意味と由来を徹底解明|赤白に宿る太陽神話と歴史の真相

日の丸の意味と由来を徹底解明|赤白に宿る太陽神話と歴史の真相にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。

日の丸が歴史の表舞台に現れた時期を遡ると、今から1300年以上前の飛鳥・奈良時代にたどり着きます。

朝廷の正史である『続日本紀』には、文武天皇の大宝元年(701年)の元旦、朝賀の儀式において「日像(にちぞう)の旗」が掲げられたと記されています。これが、国家的な儀礼空間で太陽を象徴する旗が用いられた最古級の公式記録です。

中世に入ると、日の丸は戦国武将たちの士気を鼓舞する軍旗や扇の意匠として広く普及しました。『平家物語』の「扇の的」で有名な那須与一が射落とした扇も白地に赤丸を描いたものであり、甲斐の武田信玄が所用したと伝わる「日章旗(雲峰寺所蔵)」など、現存する文化財からも武士階級が太陽の加護を強く求めていた様子がうかがえます。

この地方的・階級的な象徴が「日本の国旗」へと一気に昇華した契機は、幕末の黒船来航でした。

嘉永6年(1853年)のマシュー・ペリー来航以降、諸外国の艦船が日本近海に頻繁に現れるようになると、日本の船と外国船を遠方から瞬時に識別する必要に迫られました。ここで決定的な役割を果たしたのが、薩摩藩第11代藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)です。斉彬は幕府に対して「日本の船には古来より用いられてきた白地に赤丸の日章旗を掲げるべきである」と強く進言しました。

幕府はこの提言を受け入れ、安政元年(1854年)7月9日に「日本惣船印(にほんそうふなじるし)」として日の丸を採用することを布告。ここに、日の丸は事実上の国家統合のシンボルとして対外的に認知されることになりました。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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