江戸の裏面史「陰間」とは何者か?男色文化と陰間茶屋の実態を暴く

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江戸の歴史を紐解く上で、避けて通れない疑問が「陰間とは一体どのような身分で、なぜ生まれたのか」という点です。結論から言えば、陰間とは江戸時代に茶屋などを拠点として主に男性客へ春を売っていた10代から20歳前後の美少年を指す通称でした。

その語源と由来には諸説ありますが、最も有力なのは芝居小屋の構造に由来する説です。歌舞伎の舞台で表立って主役を張る役者に対し、まだ舞台に立てない修業中の見習い少年や、客席からは見えない舞台裏の控え室「陰の間(かげのま)」で客の相手をさせられていたことから、「陰間」と呼ばれるようになったと伝えられています。当時の舞台裏では、見習い役者を「色子(いろこ)」や「若衆(わかしゅ)」と呼び、彼らは芸を磨く傍らで、劇場のパトロンや富裕層への接待・売色を強いられていました。

この背景には、幕府による歌舞伎への厳しい弾圧の歴史が存在します。1652年(承応元年)、江戸幕府は風紀の乱れや客同士の激しい刃傷沙汰を理由に「若衆歌舞伎」を全面的に禁止しました。前髪を残した美しい少年俳優たちが舞台上で客を誘惑し、売色が公然と行われていたことが幕府の逆鱗に触れたためです。しかし、舞台上での売色が禁止された結果、需要そのものが消えることはありませんでした。少年たちの売色行為は芝居小屋の敷地外へと押し出され、やがて「陰間茶屋(かげまぢゃや)」という専門の歓楽施設へと特化・独立していくことになります。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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