北総鉄道なぜ値下げできた?「日本一高い運賃」の真相と現在の実態
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北総鉄道が「高額運賃の代名詞」となった背景には、単なる一鉄道会社の採算ミスにとどまらない、国家規模のニュータウン開発と時代の狂奔に振り回された歴史が存在します。
時計の針を1960年代後半に戻すと、高度経済成長期の首都圏は猛烈な人口過密と住宅不足に喘いでいました。東京都心へ通勤する労働者の受け皿として、千葉県内陸部に計画されたのが千葉ニュータウン開発です。当初の計画人口は実に34万人という空前絶後の規模でした。この巨大ベッドタウンと都心を結ぶ足として、千葉県や京成電鉄などの出資によって設立された第三セクターが北総開発鉄道(現・北総鉄道)でした。
悲劇の引き金となったのは、1970年代のオイルショックです。狂乱物価の波に呑まれて用地買収費や建設資材費が急騰。さらに当時、北総鉄道は民間金融機関から年利8%前後という超高金利で建設資金を借り入れざるを得ませんでした。線路を敷くだけで利子の支払いが雪だるま式に膨れ上がる構造に陥ったのです。
追い打ちをかけたのが、バブル崩壊とニュータウン計画の破綻でした。東京都心回帰の潮流や不況により、最終的な千葉ニュータウンの定住人口は当初計画の3分の1程度(約10万人強)で頭打ちとなりました。「34万人分のインフラ費用」を「約10万人の住民」の運賃だけで回収しなければならない過酷な採算構造が固定化。当時の日本の鉄道事業法で定められていた「総括原価方式(運行に必要な全コストに適正利潤を上乗せして運賃を決める仕組み)」に則った結果、初乗り運賃や中長距離の運賃が他社私鉄の1.5〜2倍近くまで跳ね上がってしまったのが高額運賃の正体です。