陸上自衛隊大宮駐屯地の真実!国内唯一の化学防護部隊と一般開放の全貌
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陸上自衛隊大宮駐屯地には国内唯一の化学防護部隊が存在するのをご存知でしょうか。大宮駐屯地を語る上で欠かせないのが、防衛大臣直轄部隊である陸上自衛隊大宮駐屯地 中央特殊武器防護隊と、専門教育を一手に担う陸上自衛隊化学学校の存在です。
中央特殊武器防護隊は、通常の戦闘部隊とは全く異なる過酷な任務を帯びています。毒ガスや炭疽菌などの生物剤、ダーティーボム(放射性物質散布装置)など、目に見えない脅威が充満する汚染地帯へ真っ先に突入し、偵察・検知・除染を実施して事態を収束に導くエキスパート集団です。その母体となる陸上自衛隊化学学校は、1953年(昭和28年)の設立以来、化学科隊員の育成と防護技術の研究開発を継続してきました。戦後日本の防衛史において、この大宮の地が選ばれた背景には、旧日本陸軍造兵廠大宮工場の広大な跡地という地理的利点と、有事の際に首都東京へ即応できる戦略的配置があったと防衛省記録に明記されています。
大宮駐屯地の歴史を振り返る際、絶対に避けて通れないのが1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件です。大宮駐屯地 サリン事件 出動の経緯を当時の記録から紐解くと、事態の異様さにいち早く気づいた防衛庁(当時)の要請により、大宮の化学学校教官や第101化学防護隊(現・中央特殊武器防護隊の前身部隊)が即座に緊急出動しました。防護衣とガスマスクを身につけた隊員たちが、未知の猛毒ガスが残留する営団地下鉄(現・東京メトロ)霞ケ関駅や築地駅などの構内へ突入し、命がけでサリンの検知・中和除染を完遂した事実は、自衛隊史における重大な転換点として語り継がれています。
当時の特番インタビューや手記で語られた「どこに毒が潜んでいるかわからない暗闇の中で、一歩踏み出す恐怖に打ち勝つのは訓練の記憶だけだった」という元隊員の証言は、極限状態における任務の過酷さを物語っています。2011年の東日本大震災における福島第一原子力発電所事故でも、彼らは放射線防護の先陣を切って現地に展開しました。大宮駐屯地は、まさに国家の危機管理における最後の防波堤なのです。