昭和天皇の兄弟は何人?秩父宮・高松宮・三笠宮の激動生涯と真実の絆
昭和天皇の兄弟は何人?秩父宮・高松宮・三笠宮の激動生涯と真実の絆についての真相をご紹介します。
三男の高松宮宣仁親王は、有栖川宮家の祭祀と血統を継承する形で1913年に高松宮家を創立しました。最後の将軍・徳川慶喜の孫である徳川喜久子(喜久子妃)を妻に迎え、天皇家・徳川家・有栖川家を結ぶ架け橋となった人物です。
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陸軍に進んだ兄・秩父宮とは対照的に、高松宮は海軍軍人の道を歩みました。海軍兵学校を卒業後、戦艦「長門」や軍令部で勤務。ユーモアに富んだ開明的な性格でありながら、物事の本質を鋭く見抜く洞察力を兼ね備えていました。太平洋戦争中、戦況の悪化をいち早く察知した高松宮は、東條英機内閣の退陣工作や早期講和を画策するなど、和平派の急先鋒として命がけで行動しました。
昭和天皇に対しても戦局の真実を直言し続けた気骨の人であり、戦後は日本美術協会総裁や日本バスケットボール協会総裁、がん研究助成金の設立など、文化・スポーツ・医療分野で多大な足跡を残しました。1987年に82歳で薨去され、2004年に喜久子妃が薨去されたことで、継嗣のいなかった高松宮家もまた絶家となりました。