東京都庭園美術館の引力|旧朝香宮邸のアール・デコと歴史の真相

東京都庭園美術館の引力|旧朝香宮邸のアール・デコと歴史の真相の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

東京都庭園美術館の主役は、何と言っても1933年(昭和8年)に竣工した旧朝香宮邸そのものです。国の重要文化財に指定されているこの名建築が誕生した契機は、1920年代のフランスに遡ります。

陸軍大学校に留学中だった朝香宮鳩彦王(やすひこおう)は、1923年にパリ郊外で自動車事故に遭い、療養のために妻の允子(のぶこ)内親王(明治天皇の第8皇女)が渡仏しました。夫妻が滞在中の1925年、パリで開催されたのが伝説の「現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称:アール・デコ博覧会)」です。直線と幾何学模様、鮮烈な色彩と機能美が融合した新時代の芸術様式に深く心を揺さぶられた夫妻は、自らの新邸をアール・デコ様式で建てることを決意しました。

特筆すべきは、フランスの第一線で活躍していた装飾芸術家たちを直接起用した点です。フランス装飾美術家協会の顧問であったアンリ・ラパン(Henri Rapin)に主要諸室の内装基本設計を依頼し、正面玄関にはルネ・ラリック(René Lalique)によるガラスレリーフ扉(翼を広げた女性像)を特注しました。さらに、マックス・アングランのエッチングガラスやレイモン・シュブの優美な鉄工芸当が随所に組み込まれました。

しかし、本邸の真価は単なるフランス文化の輸入にとどまりません。基本設計と内装施工の実務を担ったのは、日本の皇室建築を支えてきた宮内省内匠寮の技師・権藤要吉を中心とする匠たちでした。フランスから届いた図面や素材を咀嚼し、木組みの精度、漆塗りの技法、さらにはラジエーター(暖房器具)カバーに日本の伝統文様(青海波や古典文様)を取り入れるなど、日仏の美意識と超絶技巧が奇跡の融合を果たしたのです。

戦後、朝香宮家が皇籍を離脱した後は、吉田茂外相・首相の公邸や白金迎賓館として使用され、日本の外交舞台の中心となりました。時代の変遷とともに幾度も改修の危機に晒されながらも、当時の姿をほぼ完璧に留めたまま1983年に美術館として一般公開されたことは、近代建築史上におけるひとつの奇跡と言えます。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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