昭和天皇裕仁の実像に迫る|終戦の決断と側近日記が明かした素顔
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1946年(昭和21年)元旦のいわゆる「人間宣言」を経て、昭和天皇は全国各地を巡る「戦後巡幸」を開始しました。北は北海道から南は九州・沖縄(沖縄は病状悪化により皇太子時代のみ)まで、全国を隈なく回り、移動距離は約3万3000キロ、日数は延べ165日間に及びました。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が当初警戒していたのは、天皇の地方視察が国民の軍国主義的な熱狂を再燃させるのではないかという点でした。しかし、各地で目撃されたのは、くたびれたグレーの背広と中折れ帽を着用し、炭鉱労働者や戦災孤児、開拓地の農民に対してぎこちなくも丁寧に帽子を取り、「あっ、そう」「大変でしたね」と言葉を交わす初老の男性の姿でした。
当時の報道記録や庶民の日記、さらには近年ネット上で再評価されている当時の街頭映像の記録を見ると、国民が天皇に求めたのは権力者としての威厳ではなく、同じ苦難を共有した「国の象徴」としての哀歓でした。焼け野原に立ち尽くす国民の目線まで頭を下げ、言葉を詰まらせながら労う姿勢は、戦前の絶対的な現人神のイメージを解体し、真の親愛に基づく「国民統合の象徴」としての地位を現場の泥臭い対話によって築き上げたプロセスであったと検証されています。